先日、テレビを見ていたら、平昌オリンピックの女子スキージャンプで銅メダルをとった高梨沙羅さんが、
前回オリンピックでメダルを逃してから、メンタルを鍛えるために、瞑想をトレーニングに取り入れている、という話が紹介されていました。
一流のスポーツ選手にとっては、わりと普通のことだと思ったのですが、
番組の出演者達は、「一歩間違うとあぶない人になってしまう」といったコメントで、何かバカにしたような感じでした。
瞑想→ヨガ→修行→オウム麻原死刑囚→空中浮遊
のようなマイナスイメージがあることもたしかです。
ですが、
仮に、「イメージトレーニング」と言った場合はどうでしょう?
みんな、すんなり納得するのではないですか?
厳密に言うと、「瞑想」と「イメージトレーニング」は違います。
瞑想は、心を無にするという意味合いが強いでしょう。つまり、何も考えない時間を作るということです。
これに対して、
イメージトレーニングは、頭の中で競技の動きを思い描くという方法が主体でしょう。
しかし、両者は、実際には体を動かさずに、周りの雑音をシャットアウトして、静かに自分の世界に集中する、という点は共通しています。
実際には、瞑想に近いことをしていても、外部に発信するときは、イメージトレーニングと言っている人も多いと思います。
瞑想と言うと、偏見の目で見られることもありますから。
ここで何が言いたいかと言うと、
ちょっとした言葉の違いで、人に与えるイメージがまるで違うということです。
これは、もともとマイナスイメージがある言葉を、うまく聞き触りの良い言葉に変換する(=ごまかす)ことによって抵抗感を無くす手法としてよく使われます。
つまり、人を騙す場面でよく使われます。
手法としてありがちなのは、カタカナに変換してしまうことです。
カタカナにした途端に、実態が見えなくなってしまうので、
世間知らずで、知的水準が低い若者などは、簡単に騙されてしまったりします。
物事を見る時は、言葉のイメージに騙されないで、実態はどうなのかということを冷静に見抜くことが大事です。
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