「男女平等」という概念は、取り扱いが難しい概念のひとつですね。

例えば、多くの会社では、やはりまだ男社会であることはたしかでしょう。

逆差別的に女性管理職の登用が推進されたりもしますが、

能力もやる気もある女性には、やはり壁を感じる場面が多いでしょう。

 

ですが、

 

やる気のない女性にとっては、

そう居心地の悪いものではないのではないかと思います。

開き直ってしまえば、責任のない簡単な仕事で許されるのですから。

実際、権限も報酬も与えるから責任も持てと言われたら、

困ってしまう女性がたくさんいるのではないでしょうか?

本当に男女平等にするなら、一般職的な女性はなくすべきだと思いますよ。

 

では、日常生活ではどうでしょうか?

特に青年期においては、

「平等=自由競争」にしておくと圧倒的に女性の方が強いでしょう。

この時期の男女の力関係は、生物的に女性の方が強くなって当たり前です。

これは、他の動物と同じですよ。

 

では、家庭内はどうでしょうか?

女性優位の家庭が多いのではないでしょうか?

もちろん、戦前の家父長制がいいとは思いませんが、

反対方向にブレすぎじゃないですか?

 

男には腕力がある?

腕力は、戦争とか、無法状態においては大事ですが、

治安が整備された社会では、ほとんど意味がないでしょう。

現代日本において腕力が重視されるのは、一部のヤンキー文化圏とその周辺だけですよ。

普通、男性が女性に対して腕力を振るうこともありませんし。

 

 

昔、何かで読んだのですが、

自然状態にしておくと女性の方が強いので、社会制度的に男に力を持たせてバランスを保った、

という話があったのですが、

ちょっと納得するところありません?

 

 

まともな女性だけであれば、男女平等社会は適正に機能するのですが、

“悪用” する女性が多いと、その社会は歪んでくるというか、腐ってくるように思います。

“悪用” とは、自己に都合よい場合だけ男女平等を主張するということですね。

 

どことなく、共産主義と似ているように思います。

理想としては、平等がいいんですけど、それは皆がまともであることが前提なわけで、

そうでない場合、腐敗してきますよね?

 

男女平等問題を考えるとき、

長い人間の歴史の中で、どうして最近まで “男女平等” ではなかったのか?

それはそれで、何かしらの合理性があったのではないかと思ってしまうんですよね。

 

形式的平等はかえって不平等を生むわけで、

実質的な平等とは、実体に合わせた適正な役割分担なんだと思います。

 

ちなみに、私は男女平等賛成ですよ。

 

それが当たり前で、なんの違和感もなかったのですが、

でも、東京に来てからは、悪用する人が多いなーという印象です。

 

話がそれますが、

男女平等の時代に、女子校って意味あるんですかね?

どうも、女子校出身者は、健全な男女平等意識をもっていない気がするのですが。

サンプルは嫁なんですけどね (笑)

完全な悪用常習者です。

美味しいとこ取りですよ。。