かなり批判を受けそうなタイトルですが…、

労働すること、それ自体には、特に価値はないと思います。

価値のある労働と、価値のない労働があるということです。

また、職業の貴賤を言っているのではありません。

無駄なこと、意味のないことをやっているのなら、それに価値はないと言っているのです。

雇われ人は、

決められた労働時間に、一応、働いてさえいれば (働いているように見えさえすれば)、給料が支払われるので、

価値提供ということに鈍感になりがちです。

取り敢えず、やっていればいい。という思考になりがちです。

私は、意味のない業務をするくらいなら、寝てた方が、よほどいいと思っています。

学生で言うと、

授業中に寝てようが、テストで結果を出せれば評価されるべきで、(実際、そうですし)

反対に、

いくら授業をまじめに受けていても、テストで点数がとれなければ、ダメでしょう。

仕事でも、はっきりと結果が見える種類の仕事ならばよいですが、

多くの仕事は、成果がはっきり見えません。

したがって、

一生懸命やっているとか、朝早くから来ているとか、

どうでもいいことが、実際の評価に影響を与えます。

意味のない業務を作り出し、取り敢えず形にした、ということが評価されたりすることもあります。

しかし、この場合は、プラスどころか、マイナスです。

会社の資源を使って無駄なことをしているのですから。

日本は、労働すること自体が美徳とされる風潮があり、

仕事をしている限り、世間的には、ほとんど批判を受けません。

それが、いかに生産性のないことをやっていようとも。

この風潮が、非効率な業務の温床になっていると考えます。

価値を提供できなければ、ゼロという発想がありません。

一生懸命やっているアピールとか、クソ過ぎて笑っちゃいます。

一生懸命ノート作りましたー、みたいな感じです。

それが評価されてしまうとか、レベル低すぎです。

意味のあることだけやっていたら、労働時間は短くて済むと思いますが。

本気で労働時間を短縮したいなら、

まずこういった意識改革を社会全体で行っていく必要があると思います。

小手先の制度を導入したって、ダメですよ。