地動説を説いたコペルニクス。

あっ、予め断っておきますが、コペルニクスについて、特に詳しいわけではありませんので。

世界が天動説を疑わない時代に、誰も考えつかなかった地動説を説くことは、さぞかし大変だったと思います。

宗教もからんでますし、命懸けですよね。

ホント、マジで尊敬します。

なんで、こんな話をするのかというと、会社でも似たような場面があるからなんですね。

もちろん、地動説なんかとはレベルが違いすぎて、おこがましいのですが。

あるコミュニティで、”天動説” 的に皆が信じている事柄について、問題提起するのは本当に骨が折れます。

「そんなこと、疑うこと自体、意味がない!」など言われたりして。

ホント、心が折れます。

“天動説” の範疇で、いくら議論を極めても、何の問題の解決にもならないんですがね。

つまり、前提条件の設定の問題です。

前提条件が間違っている場合、いくら論理的に細かく詰めても、全く意味ないですから。

これ、結構多いんですよね。

そこで、「そもそも、前提が違っていると思うのですが、…」という話を(やんわりと)するのですが、

アタマの硬い年寄りは、真っ向から否定してきたりします。

年配であっても、それなりの優秀な方は、耳を傾けてくれますがね。

1年とか経過してから、「あの時、ひできちさんの言っていた通りになりました。言うとおりにしておけばよかった。」と言われること、結構あります。

その間、私は、小さな小さな、ちっちゃ~いコペルニクスですよ。(おこがましいですが)

こんなレベルでも辛いので、コペルニクスは本当に凄いです。

とにかく、”常識” って、怖いですね。

その時代、その社会的枠組みの中で信じられているに過ぎないものですからね。

余談ですが、歴史を学ぶのは、そういった視点を学ぶことでもありますね。

わからない人には、いくら言ってもわからないので (個人の資質によるので)、

私生活では、すぐに諦めて放棄するのですが、

仕事では放棄できないので辛いですね。

狭い世界の常識に染まるって、おそろしいことです。

そういえば、

「ヴィレッジ」という映画がありましたが、覚えていますか?

その村は、塀で囲まれていて、住人達は、「外の世界はとても危ないので、生きていけない。絶対に塀から出てはいけない」と教育されていました。

といったような設定の話ですが、

なんか、日本の会社みたいですね。

油断していると、村の”常識” に染まっていくので、気を付けないといけませんね。

ちょっと、話がズレましたね。