“頭を鍛える” とか、”◯◯力を鍛える” といった書籍や記事が溢れていますが、違和感を覚えません?

“発想力を鍛える” というフレーズに至っては、

その発想自体が、発想力に乏しいのではないか?

とツッコミを入れたくなります(笑)

ですが、

この “◯◯を鍛える” シリーズは、読者に人気があるようで、出版が後を絶ちませんね。

読者は、中高年でしょうねー。

既に引退した人が多いような気がします。

老後の趣味として、既存のスキルを”鍛えて” いる限り、実害はないのでOKでしょうか。

う~ん、

そもそも、鍛えればなんとかなる、と思っていること自体、ズレていると思うんですよね。

努力至上主義ですかね。

少なくとも、これからの時代に新たに必要となる能力は、

“鍛えてなんとかする” という方向とは、ベクトルが違うのではありませんか?

“鍛える” というからには、”鍛える” 対象がはっきりしていることが前提ですから、

何を鍛えるべきか不明確な時代には、どうしても馴染まないと思うんですよね。

それに、

鍛えてなんとかなるスキルというのは、代替可能な気がして、

がんばって鍛えたものの、AIに代替されるという悲しい未来を予感させるんですよねー。

出版業界は言葉を扱うプロなのですから、もし、この言葉に違和感がなければ、時代感覚が無さすぎだと思います。