正月の2日と3日にかけて行われる箱根駅伝ですが、好きな人と嫌いな人に別れるイベントだと思います。

嫌いな人にとっては、他人が走っている様子を長々と見ることにいったい何の意味があるのか?時間の無駄でしかないと思うでしょう。もっともです。

一方、好きな人は何を感じて見ているのでしょうか?

母校が出場していれば、単純に気になって応援したくなる人も多いでしょう。

では、全く関係ない人は何を見ているのか?

おおざっぱに言うと、人間ドラマを見たいのではないでしょうか。フィクションではないリアルなドラマを。

若者が頑張っている姿を見て元気をもらうというという効用もあります。

ドラマというのは、自分を投影できる余地があることが大事な要素です。

オリンピックなどになれば、選手があまりに常人と能力がかけ離れていて、投影の余地がほとんどありません。

箱根駅伝には、色々と自分を投影できる要素がたくさんあります。

まず、選手が無名であること。

将来的にオリンピックに出るような選手もいますが、多くは無名の学生です。

そして、競技そのものが、走るという誰でも出来ることであり、飛び抜けた才能も必要ありません。努力でなんとかなる(と思わせる)余地が多分にあります。

また、リレーであるため、1人の力ではどうにもなりません。基本的には個人競技でありながら、チームの総合力が問われます。

自分の調子が悪くても、チームに迷惑をかけれないので、フラフラになってもタスキをつなぐために頑張ります。

駅伝とは、まさに、日本人の精神性にフィットする競技です。

これに加えて、箱根駅伝は普通の駅伝と違い、箱根という山を登ったり、下ったりというムチャクチャなことをやります。

最近始まった競技では、こんなムチャクチャなことはやらないでしょう。

今の時代には消えつつある非合理性、ムチャクチャさもウケる要素だと思います。

伝統のなせるわざです。

実際、テレビ中継がCMに入る前に流れる昔の白黒の映像は、歴史を感じさせてなかなか興味を引くものがあります。